2014/03/25

旅への第一歩

 一時期、パスポートをバッグに入れて持ち歩いていたことがある。
 身分証明書としては運転免許証があるし、健康保険証も持っている。それなのにいつもパスポートを持っていたのは、それだけでなんとなく、「ここではないどこか」に近づくような気がしたからだ。
 数年前からあちこちに移動する生活を続けているけれど、あらかじめ予定を立てるのではなく、ふらっと気が向いて訪れた駅や空港からどこかに旅立つ、ということにずっと憧れている。自分でも行き先の不確かな旅。そのとき空いている飛行機や新幹線に飛び乗って、どこかに行ってみたい。そしてそれが海外でもいいようにパスポートを持っていたのだ、というと笑われそうだけれど、でも本気でそう思っていた。
 3年前につくり直したパスポートは、まだほんの少ししかスタンプが押されていない。あと7年、どれだけの国に行けるだろうか。そして、私は降り立った先で何を感じるのだろうか。

2014/03/23

回復の術

 先週の日曜日はネイルサロンに行き、おとといは美容院に行ってきた。
 ネイルサロンも美容院も、行かなければ行かないでもなんとかなる。けれど、あえてそういうところに行くことが、どうしても必要なときもあるのだ。
 ここ2週間ほど、ずっと休みなく仕事をしている。疲れたなあ、と思ったときに、こうやって自分をいたわるためだけのゆっくりした時間を取ることと、人に手をかけてもらえるだけの存在であるということを実感することで、すこし回復することができる。
 爪を磨いてもらって、きれいなグラデーションにしてもらうこと。くっくっと指に力を入れて髪の毛を洗ってもらい、伸びた分だけ髪を切り、カラーリングのリタッチをしてもらうこと。そんなささやかなことで、またこれから数週間、新しい気持ちで過ごすことができるのだ、と思う。


2014/03/20

焦がれる

 東京ではもう春一番が吹いたというのに、今日の山形はまた雪が降った。ただ、雪とはいっても、たっぷりと水分を含んだみぞれのようなぼたぼた雪だ。
 一度だけ、きちんと桜を見られなかった春がある。高校を卒業した年、大学受験が終わり、私の引っ越しは4月の入学式の直前と決まった。山形の桜が咲きはじめるのは4月の中旬以降で、とりわけ暖かかったその年、引っ越した静岡ではとっくに桜吹雪になっていた。県立美術館から大学へと続く桜並木の下を歩きながら、桜を見られないことを残念に思ったことを思い出す。その分、次の年に見た、レンガづくりの校舎の手前に咲く満開の桜は、とても美しく感じられたのだった。
 あと1ヶ月もすれば、空気さえも薄いピンクに染まる。そして、今の私は、そのときが来るのを心待ちにしている。焦がれている、と言ってもいいほどに。

2014/03/13

その人にしか編めない物語

 同じ体験をしていても、見えるものは違うし感じることも違う。その体験はその人だけのものだけれど、それをその人自身の言葉で聞かせてもらえるというのは幸せなことだと思う。
 今週は連日取材の予定が入っていて、あちこちに足を延ばしている。人にはそれぞれその人だけの物語がある、というのが私の信条だけれど、やっぱり何回でも、繰り返し繰り返しそう思う。人には、その人にしか編めない物語があるのだ。
 原稿にはまとめきれない物語をたっぷり聞かせてもらえるなんて、ほんとうに役得。それを伝えられるように、せめて私の中で言葉を熟成させなければ、と思っている。私というフィルターを通して、その人の思いが存分に伝わることを願って。

2014/03/11

春の足音

 先週は人生ではじめてインフルエンザになった。1週間をほぼまるまる寝たまま過ごし、その合間にどうしても締切を延ばせない仕事をなんとか終わらせ、昨日から東京に来ている。
 昨日は渋谷で仕事。ランチタイムに花屋さんを覗いたら、黄色くこぼれる花束が目についた。ミモザだ。
 ミモザは私にとっては春を告げる花だ。東京でひとり暮らしをしていたときは、最寄り駅のすぐそばにお気に入りの花屋さんがあって、この時期になるとひと抱えもあるようなミモザを買って活けたものだった、と思い出す。風は冷たくても、もう、春はすぐそばまで来ているのだ。
 今日、ピンクのスプリングコートを買った。袖を通せるのはいつになるのか、今から楽しみにしている。