2014/04/27

またあしたね

 「またあしたね」って、なんて美しくて、切なくて、甘い言葉なんだろう。ともすれば涙ぐみそうにさえなるほどに。
 また明日も大好きな人たちと会える、その幸せを夕焼けとともに感じる。

2014/04/24

祖母の百人一首

 小さいころから祖母と一緒に百人一首に親しんでいたおかげで、この季節になると思い出す歌が二首ある。ひとつは紀友則の「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」、もう一首は西行法師の「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」だ。
 百人一首は私の中では祖母と分かちがたく結びついていて、祖母との思い出の中でも特にくっきりと際立っている。それまでに自分が遊んでいたような子ども用のかるたと違い、小さかった私にとっては、すこし小さなサイズで昔風の絵がついた百人一首はなんだか典雅なものに思えて、うかつに触っていいものかどうか迷ったことを思い出す。きちんと箱に収められたそれは、子どもが触るのを禁じられていた棚の中に入っていた。日頃から着物を着て暮らしていた祖母と百人一首をとるときは、畳の上で衣擦れの音がいつもより大きく聞こえるような気がした。
 百人一首で最初に教えてもらったのが紀友則の歌で、祖母は「おばあちゃんはこの歌が百人一首の中でいちばん好きなのよ」と繰り返し言っていた。わけもわからずに、ただ口伝えで覚えたはじめての短歌。西行法師の歌は、それからしばらくして覚えた。桜並木を歩きながら、この木1本1本の下に全部屍体が埋まっていたらぞっとする、と考えたこともある。
 中学に入ってから、国語の授業で百人一首を学んだこともあり、一時は百首すべて覚えていた。でもいつのまにか記憶はすっかり抜け落ち、今そらで思い出せるのは、この二首と「むすめふさほせ」の十首足らずでしかない。
 あの百人一首は、今はどこにあるのだろう。まだあの棚の中で、ひっそりと息づいているのだろうか。
 あと数日で、祖母の命日がやってくる。

2014/04/22

きちんと暮らす

 「きちんと暮らす」という言葉の定義は人それぞれだろうけれど、私にとっては、規則正しく穏やかな生活をするのと同時に、細かな小さいことを着実に終わらせていくことでもある。
 日々ばたばたと移動しながら暮らしていると、その小さなことをこなすのが難しくなる。たとえば冬物のスカートとコートをクリーニングに出すこと、ヒールのスエードがめくれてしまったパンプスを修理に出すこと、革の財布や手帳に定期的にクリームを塗り込んで手入れをすること…。ひとつひとつは決して手間がかかることではないのに、忙しいからとうっちゃっておくと、これがなかなかどうして、まとまった量になって心に重くのしかかる。
 昨日の夜札幌から戻ってきて、クリーニング店と靴の修理屋さんからスカートとパンプスを引き取り、革ものにクリームを塗って、引っかかっていた棘をひとつずつ片付けた。そして、ただそれだけで自分が普段からきちんと暮らしているような気になるのだから、自分はなんと単純なことよ、と思う。

2014/04/11

贅沢で無駄な空間

 文房具が好きだ。ノートにボールペン、万年筆などの小さい働きものたち。小さい頃はレターセットばかり買いあつめ、「それほど手紙なんて書かないのにどうしてそんなに欲しがるの」と母に呆れられていたこともある。
 仕事用のノートはモレスキンを使う、と決めてから3年。ゴッホやチャトウィンが使っていたというエピソードは、でも私にはそれほど重要ではない。それまでは使い終わったノートのどこに何が書いてあるのかを探したり、適当に取ったメモがどこに行ってしまったのかを探したりすることにずいぶん時間を費やしていたから、手帳のように1冊のノートを1年間使いつづければいいのだ、と気づいたときは、目の前がちょっと明るくなったような気がしたのだった。
 黒の無骨なハードカバーにクリーム色がかった紙、ゴムバンドで全体をしっかりとホールドできるという、ただそれだけの機能は、シンプルでこの上なく無駄がない。無地を使うと際限なく文字が斜めになりそうなのが嫌で、いつも罫線入りのものを買う。自宅では1日1ページのラージサイズを使い、出張や取材にはポケットサイズを持ち歩く。
 モレスキンそのものにはまったく無駄がないのに、ひとたびページを広げると、その向こうにはちょっと贅沢で無駄な空間が大きく広がる。たとえ、書いてあることが取材メモであっても、かけなければならない電話番号であったとしても、それを書きつけたときの空気感までよみがえるような気がするのだ。

2014/04/10

 神戸と名古屋では、桜がこれでもかとばかりに咲き誇っていた。今日、友達から届いたメールマガジンには、毎年この桜の時期に行っている新宿御苑に行きそびれたことが書いてあった。
 山形の桜は、まだもうすこし先。家からほど近いさくらロードをお散歩することを楽しみにしながら、神戸の桜の写真を眺めている。
 空気や指先まで薄く染まる季節は、もう、すぐそこだ。

2014/04/09

 先月の末に、はじめて神戸に行った。いつか行ってみたいと思っていた場所。
 異人館の街並みの中を、カメラをぶら下げ、妹と他愛のない話をしながらゆっくりと歩く。姉妹の気易さで、黙っていてもほうっておいてくれるのがいい。普段はすぐ車に乗ってしまうので、妹と一緒にのんびり歩くというシチュエーションそのものが久しぶりだった。
 「仕事はどうなの」、「今は何してるの」、そんなことをお互いぽつりぽつりと話す。ランチに入ったカフェでイイダ傘店の展示があったので、喜んで2人で眺める。まだすこし肌寒かった山形とは打って変わって、ちょうど桜が綺麗に咲いていた。
 神戸は、春の匂いがした。そして、ほんのすこしだけ、異国情緒の匂いもした。