2016/02/26

合奏と取材の共通点

20年近くピアノを弾いていましたが、
そのほかにも、
5年間、フルートを吹いていました。
ピアノよりずっと向いてなくて
下手っぴだったけど、
それでもフルートを吹くのは楽しかった。

ピアノはひとりで弾くことが多いけど、
フルートを吹いていた当時楽しみだったのは、
みんなで合奏すること。
ひとりだけじゃ絶対に出せない和音の厚みに、
たまらなくぞくぞくしたものです。


オーケストラや吹奏楽で
合奏の前に欠かせないのはチューニング。
「ラ」の音に音程を合わせる、あれです。

またあの時間がたまらなく好きだったんだけど、
それはきっと、
同じ「ラ」なのに
バラバラだった音が
すこしずつひとまとまりになっていく、
そのプロセスが好きだったからだと思います。

*

取材の仕事は、基本的に一発勝負。
何回も連続して話を伺うこともあるけれど、
おおむね「はじめまして」の状態で
インタビューさせていただくことが多いです。

名前や職業の情報はわかっているけれど、
どんな人なのかは、それだけではわかりません。

先日の取材のとき、
同席していたある会社の営業さんに
「工藤さんはやっぱり気持ちを引き出すのが
すごくうまいなーと思います。さすがですね。
何か気をつけてることはあるんですか?
テクニックとか」
と聞かれたんです。


そういうふうに言われるのは、とっても嬉しいこと。
でも、何か意識してるかなあ?

心理学を学んだから、傾聴のスキルは
多少知っているし、たしかに使うけれど、
それだけに気を使ってるわけでもない。
むしろ、そのスキルは意識してないことが多い。

じゃあ何を意識してるんだろう…と考えて、
口をついて出てきた言葉は、
「チューニングすること」で、
ああ、たしかに私は
チューニングすることを意識している、
と思ったのです。

*

チューナーを使うときは、
自分で出した音を
チューナーに合わせていきます。
基準はチューナー。

だけど、人は機械じゃないから、
いつも同じ音が出るとは限りません。

どんな楽器でも、温度によって
音の高低差ができるように、
人にだって、その人の基準の音があります。

同じ「ラ」の音でも、
440Hzと442Hzではだいぶ違う。
「ラ」とひとくくりにしてしまえばそれまでだけど、
実は違っているということだって珍しくありません。


だから、取材のときに気をつけているのは、
その人の発する言葉にチューニングすること。
ただ、相手の言葉を
そのままの重さで受け取ること。

「あ、今、合ったな」
と思える瞬間があると、
言葉がとてもなめらかになり、
そのあとの取材はとてもスムーズに進みます。

これは講座でも同じこと。
相手の言葉のピッチに、
私を合わせていく感覚です。


音楽をやっていきたいと思っていながら
結局その道には進めなかったことを
今でもちょっと残念に思っていたりするけど、
でもこの感覚はきっと、
音楽でしかつかめなかったもの。

そう考えると、
音楽をやっていたことだって、
十分今に役立っているじゃないか、と思うのです。


2016/02/17

ほんとうについた嘘よりももっと悪いこと

 みんな嘘なのかもしれないな、と思った。とんでもないすけこましで、たださすらいたいだけかも。しばられたくないだけかも。そういう可能性も大ありだった。
 でも説得で彼の考えを変えられるわけでもないし、そんなのたくさん見てきた。説得の嘘ワールドを。
 ほんとうについた嘘よりももっと悪いことは、自分の考えで人を動かそうとすることだ。たとえよかれと思っていたって、そしてどんなに軽くても重くても、罪は同じだ。他の人の考えがいつのまにか自分のつごうがいいように変わるように、圧力をかけるなんておそろしいことだ。
(吉本ばなな『ハチ公の最後の恋人』メタローグ p47〜48より)


 大学時代に何回も何回も繰り返し読んでいたのが、吉本ばななの『ハチ公の最後の恋人』という本だ。呉服町通りの江崎書店で平積みになっていた場所も、そこに午後のやわらかい光が当たっていたことも、今でもくっきりと覚えている。『キッチン』ですでに有名になっていた吉本ばななの、それほど熱心ではなかった読者だったのに、なぜかこの本だけは最初の数行を読んでそのままレジに持っていき、アパートに帰ってそのまま読みきったのだった。

 スピリチュアル、という言葉がまだまだ知られていなかった当時、この本は私にとってはスピリチュアルの一風変わった入り口となり、またたくさんの触発される言葉を含んだ本でもあった。そのひとつが、冒頭の引用部分だ。

 自分の考えで人を動かそうとすることが悪いこと…? むしろ、自分の考えで人を動かせたら自分に力があるということではないか、と考えていた私にとっては、あまりに衝撃的な言葉だった。何回も読み返して、読み返すだけでは飽きたらなくなって、手帳にまでこの文章を写していたほど。

 それでも、当時は、わかったようなわからないような、という状態だったのだと思う。今なら、たしかにそのとおりだ、と言える。もっと軽やかに、しなやかに影響を与えるのならいい。自分の考えを正当化して何になる。説得なんて、誰もされたくはないのだ。

 私は、今、誰かを力で説得しようとはしていないか。

2016/02/14

自分が本当にやっていることは何だろう?

前回の記事の続き。

「本業は何?」
と言われることが増えて、
そうか、私がやっていることは
他の人から見たら
まったく違うことをやっているように見えるんだ、
と気づきました。

まあ、そうかもしれないよね。
ライター業とヨガ講師が
別物に見えるのは、よくわかります。


でも、じゃあ
なぜ私が矛盾を感じずに
両方やっているかというと、

どちらも「つなぐ」ことだから。

書くことというのは、
私にとっては
テーマと読む人をつなげるための
橋渡しをする作業。

そして、言葉にならない
自分のモヤモヤした感情に
適切な表現を与えることでもあり、

語る言葉を持たない・わからない人に
「それってこういうことだよね?」と、
その言葉を手渡すことでもあります。


一方、「ヨガ」とは
もともと馬と馬車をつなぎとめておく
くびきという道具が語源になっているそう。
それが転じて、
「つなぐ」という意味になっています。

ヨガでつなげられるのは、
自分の体と心、
そして主観と客観。

ヨガでポーズができるかどうかは
あまり問題ではなく、
できると思っていたことがたしかにできる、
できると思っていたことができない(逆も然り)、
できないならその理由を認識する、
ということが
とても大切だと思っています。

それが自分自身とつながるための
第一歩だから。

私の場合、ヨガをすると
今の自分自身を客観的に見ることができるのは
そういう理由からだと思います。


表面的には
ぜんぜん違うことをしているようだけど、
「つなぐ」という意味においては、
私は同じことをやっている。
ただ、それだけなのです。


たとえ
他の人からは不思議に見えたとしても、
そこに芯が通ってさえいれば
揺らぐことはなくなる。

その「芯」が、
「自分が本当にやっていることは何だろう?」
という問いの答えなのだと思います。


あなたが、本当にやっていることは何ですか?


2016/02/07

工藤春奈が本業

先日、
EテレのSWITCHインタビュー 達人達(たち)
「厚切りジェイソン×金田一秀穂」の回を見ました。

言わずと知れた言語学の第一人者である
金田一秀穂さんと、
"Why Japanese People!?"で大ブレイクし、
昼は芸人、夜はIT企業役員として働く
厚切りジェイソンさんのクロスインタビューです。

ふたりとも、
私にとっては言葉の人なので
見ていてとってもおもしろかった。
「あるあるー!」というところも、
「へええ、そう思うんだ」というところも。

その中でひとつ、
うわー、私もこう言おう、
と思った言葉がありました。

それが、
「生き方が本業」
です。


芸人とIT会社役員、という
一見交わるところのない仕事をしている
厚切りジェイソンさんは、
「本業は何?」とよく聞かれるのだそうです。

厚切りジェイソンさんの解釈では、
「本業」という言葉には、
「人は『人間=仕事』と考えていて、
本業以外のことはできない
という意味がこめられている」
とのこと。

その上で、
「ジェイソンはジェイソン。
全てのことが本業。
生き方が本業」
と言っていたのです。


これ、すごくよくわかる。

以前の会社にいたときは
秘書業務と執筆・校正業務を
どちらもやっていたし、
そもそも執筆と校正だって
どっちが本業なの?って言われたし、
今は取材・執筆をしながら
週1回ヨガも教えてる。

傍から見たら、
「本当は何をやってる人?」
になることもあるみたいです。

でも、私にとっては
どれも矛盾がなくて、
どっちもやりたいことで、
本業って言われても…っていう感じ。


「本業」っていう言い方は、
自分以外の人が自分のことを
「あの人はこういう人だ」
と第一義的に認識するために
使う言葉なのかなあ、
とぼんやり思ったりもしています。

だとしたら、
自分が自分のことを思うには
必要ない言葉。


前回の記事にもつながるけど、
私の本業は
工藤春奈を生きること、
と言い切って生きていきたいなあ。


金田一秀穂先生の本は
何冊か読んだことがあるけど、
厚切りジェイソンさんのこの本
読んでみようと思います。