2013/07/27

はぐれ鳥の20年後

 今度果歩もここに連れてこよう、と思った。果歩にも仲間が必要だ。どうして今まで気がつかなかったのだろう。木枯し紋次郎ではないのだから、果歩も、はぐれ鳥みたいにいつまでも孤独を気取っているべきではないのだ。
(江國香織『ホリー・ガーデン』新潮文庫、56ページより)
 はぐれ鳥だと自覚しているわけではなかったけれど、仲間とか親友とか、そういう存在は私の人生にはないのだろう、と割り切るしかなかった。いつもどこか疎外感を感じていたし、馴染もうとして無理をすればそれが滲み出て結局は馴染みきれず、またそれに自己嫌悪を覚えることの繰り返し。高校に入るころには、もうすっかり諦めていた。私は人と違う、腹を割って話せるような友達はきっとできないのだ、そう思い込まないと、ともすれば希望を持ちそうになりそうな自分が惨めでしかたがなかったのだ。だからこそ一歩引くくせがついたのだし、人とのつきあいは深入りしないようにしていた。それでいて甘えられそうな人がいれば全身全霊で甘えてしまい、それに疲れて人が離れていく、という悪循環。子どもだったな、と思う。
 いつからこんなに楽になったのだろう。今私のまわりにいてくれる人はみんな気持ちのいい人ばかりで、以前だったら口にすることすら考えられなかった「できない」「わからない」ということを言っても、それをそのまま受け止めてもらえる。親友と呼べる存在がいて、仲間と言える人たちもいる。
 今なら素直に言える。私は親友や仲間が欲しかったのだと。
 そして、20年前の私に言いたい。あなたの将来、そう悪いものじゃないよ。今よりもずっと楽しい毎日が待っている。

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