2014/12/22

Pike Place

 あたたかかったサンフランシスコを後にして、2時間の国内線フライトで降り立ったのはシアトル。一転して空は沈鬱で、雨が降り続いていた。でもそんな中で久しぶりに会った友達はとても元気で、たった数時間の邂逅ではまだまだ話し足りないことがたくさんあった。また来年絶対来るからね、と言って手を振って別れた。
 
 その日は、あまりうまく眠れなかった。ずっとベッドの中で寝返りを打ったりiPhoneを見ていたりしたけれど、5時半になったのを機に、えいっと起き上がる。もうこのまま寝転んでいてもしかたがない。そういえばシアトルにはスターバックスコーヒーの1号店があると思い出してGooglemapで調べてみると、幸いそんなに遠くない。手早く身支度をして、雨の朝に一歩を踏み出した。
 
 サンフランシスコとは打って変わって、まるで季節がひとつ進んでいるようだった。吐く息は白く、傘を持っていない私はあっという間に濡れた。ハンカチで雨粒を拭いながら歩く。
 
 あった、と思って入ったスターバックスは、実は1号店ではなかったとほどなくして気づき、ラテとベーグルをたいらげてから、また1号店を目指して歩く。そのお店からは近かったので、ほっとしてドアを開けた。
 
 暖房がよく効いたお店の中はとてもあたたかく、ほうっと息をつく。"Good morning!" と声をかけてくれた店員さんに、1号店だと間違えて、あっちのお店に入っちゃったよ、と言うと、あらあら、間違えてあっちに行っちゃう人、よくいるのよね、と朗らかに笑われ、私もえへへ、と照れ笑いをする。どこから来たの、いつ帰るの、と交わす他愛のない会話がとても楽しい。父へのおみやげに、ここでしか買えないコーヒー豆を買ったら、その店員のアンディは、こんなスリーブをプレゼントしてくれた。Have a nice trip! という店員さんたちの明るい声に押されて、また雨の降る外へと足を向けた。ほかほかの気持ちを抱えて。

2014/12/11

 ワールドシリーズでサンフランシスコ・ジャイアンツが優勝したその夜は、街中はそれはそれは大騒ぎだった。中継に釘付けになっていた人たちが一斉に雄叫びを上げ、あちこちでクラクションが鳴り響き、誰も彼もが笑っている。
 
 野球でも応援歌のことをチャントと言うのだろうか、と思いながらも、そのチームの愛し方に、地元のサッカーチームを応援している私との共通点を感じずにはいられなかった。
 
 普段は白のライトだというコイトタワーも、この日ばかりはオレンジ色にライトアップされていて、まるで街全体が流行熱に浮かされているようだった。もうすぐハロウィンだから、と友達が買ってくれたチョコレートを口に放り込みながら、私の足取りまですこし軽くなったような気がしたのはなぜだったのだろう。

2014/12/02

海の浸透圧

 旅先で現地に住んでいる人と会うと「何がしたい?」と聞かれるけれど、いつも答えに詰まる。これといって観光名所をまわりたいわけではなく、その土地での生活を垣間見たいだけなのだ。ごく普通のスーパーマーケットに行き、ただ散歩をして新鮮な景色を目に焼き付け、なんとなく書店を冷やかし、ときどきは買い物をしすぎて後悔する、というような。
 
 それでもせっかくだから、と、ゴールデンゲートブリッジとアルカトラズ島をまわる1時間のクルーズに乗り込むことにした。相変わらず日差しは強くてサングラスが手放せなかったけれど、デッキに出て海風に吹かれるのは本当に気持ちがよかった。
 
 海を見ていると、なんだか心の鍵が外れたようになる。力いっぱいに扉を閉めて、なおかつその上から全体重をかけて動かないようにしていた不満やストレスが、いとも簡単に溶け出していくのを感じる。そういえば、イギリスにいたときも、ときどき電車に乗って北海を見に行っていたんだった、と思い出した。海の浸透圧、と思う。
 
 真下から見上げたゴールデンゲートブリッジは、対岸から見るよりもずっと迫力があった。どれだけの年月と人とお金とが費やされたのだろうと思うと、心の隅がしんと冷える。建設から80年近く経った今もなお、こうやってなくてはならない存在になっているということに思い至ると、なんだか目が眩むような気がした。

2014/11/25

 到着したその日は、ロジャーがつくってくれた夕食を3人で囲んで楽しい時間を過ごした。言いたいことがあるのになかなか英語が出てこないことに、胸のつかえを感じながらも。「明日はゆっくり寝てていいからね」と言われたとおり、目覚ましもかけずにベッドに倒れ込み、次に目が覚めたら太陽ははるか高くに上がっている。あわてて時計を確認したら、もう朝の10時をとうに過ぎていた。
 
 まだぼんやりしながら階下に下り、「よく寝てたねえ。途中何回か部屋覗いたけど、ほんとによく寝てた」と言われて、えへへ、と笑う。今日も空は晴れ渡っていて、それじゃあクラムチャウダーを食べに行こう、と出かけた。
 
 はじめて目にするサンフランシスコのダウンタウン。思ったよりもずっとあたたかく、じきに見えてきた海は太陽の光を反射してキラキラ光っていた。ちょうどお昼時だったからか、スーツを着たビジネスマンと、トレーニングウェアで走っている人、このあたたかさの中でダウンを着ている観光客が入り交じる。「このへんは走ってる人が多いね。健康に気を使ってる人もすごく多いよ」という友達の言葉に、深く頷く。
 
 駐車場に車を停め、散歩がてら海沿いを歩く。港の一角にはアザラシが集まって鳴き声を立てていた。いくつかのお店を冷やかして、目についたところでクラムチャウダーを頼んだら、中をくりぬいた大きくて酸っぱいパンの中にたっぷりとスープが注がれ、あまりの大きさに目をまるくする。それでも、10月の終わりとは思えない強い日差しを浴びながら食べたそれは、今まで食べたどのクラムチャウダーよりもおいしかった。

2014/11/22

言葉で実感するとき

 願いどおり、飛行機の中ではぐっすり眠った。これまでにないくらいに。そして目が覚めて間もなく、私の乗った飛行機は、無事にサンフランシスコに到着した。
 
 日系の航空会社だったせいなのか、飛行機を降りてもまだ頭の中が日本語のままで、溢れんばかりの英語に少々面食らう。そうだそうだ、久しぶりに海外に来ると、言葉のスイッチがなかなか切り替わらないんだった、と思い出す。

 現地では、友達の家に泊めてもらうことになっていた。アメリカ人のだんなさんが迎えに来てくれているという。あちこちきょろきょろしながらゆっくりゲートを出たら、見たことのある顔が、「春奈ちゃん」と書かれた紙を持って笑って立っていた。Hi, nice to meet you, I'm glad to see you, とハグを交わす。はじめて会うロジャーは、笑顔の穏やかな紳士だった。

 おぼつかない英語でなんとか会話をしながら、ロジャーの運転する車で友達の家に向かう。アメリカに来たんだと実感したのは、道中、ガソリンスタンドの看板がガロンの表示になっているのを見たときだった。
 
 友達の家からは、太平洋が眼下に見渡せる。テラスに出て風に吹かれながら空を見上げていたら、もうすぐ上弦になる月が明るく光っていた。

2014/11/20

夜を飛ぶ飛行機に乗るために

 今、飛行機に乗り込んでいる自分が信じられないくらいだった。
 
 そのために日程を確保していた仕事がずれ込み、何よりも大事な睡眠時間さえも削っていた直前の2週間弱。1回に5時間以上かかる打ち合わせを2回繰り返し、もちろんその前後には自分ひとりでの作業が不可欠で、「切羽詰まる」という言葉では表現できないほど追い詰められ、髪の毛が逆立っているのではないかと確認せずにはいられないほどだった。
 
 出発当日も午前4時近くまで仕事をし、数時間の仮眠を取ってまた仕事に没頭し、なんとかすべてのデータを送ったのは18時過ぎ。フライトの、わずか6時間前だった。
 
 ぐったりと疲れた体でスーツケースを引いて空港に向かう。自分の体だというのに、持て余すほど重い。食べたいものが思いつかなくて、注文口で延々と迷った末、クラムチャウダーをオーダーする。これから行くサンフランシスコでもっとおいしいクラムチャウダーを食べられるのではないか、と思ったのは、もう食事も終わる頃だった。
 
 いつもなら空港そのものも楽しみなのに、今回はその余裕がなかった。最低限の両替をし、買い忘れたマスクと胃薬、親戚への手みやげだけを買い、搭乗口近くの椅子に身を沈める。願いは今すぐ寝たいということだけで、乗り込むなりブランケットを肩の上まで引っ張り上げ、離陸の瞬間さえも覚えていない。
 
 夜を飛ぶ飛行機で、深い眠りを貪った。

2014/09/19

露草

 あれっ、と思った。今まで庭でこんな色合いのものは見たことがない。それは小さな露草だった。

 我が家は築30年ほどになる平屋の借家で、もう住み始めて8年くらいになる。猫の額にも足りないような小さな庭があるのが好きで、ここに決めたのだ。大家さんの関係者が庭師だったそうで、小さいながらも松や椿、ビョウヤナギにホトトギス、ギボウシ、ドクダミなどが植えてある。でも、露草は見たことがなかった。

 露草なんてあったっけ、と周りを見渡したら、我が家の目の前にある公園の壁にも露草が咲いているのを見つけた。嬉しくなって夫を呼び、ほら、と2人で眺める。小さくて楚々とした花。

 でも、たった2日後に公園の露草は雑草として刈り払われ、跡形もなくなってしまった。こんな小さな花なのだ。花が咲いていると気に止めた人もいなかったのかもしれない。それでも私は取り払われてしまったことが惜しくて、庭の露草を眺めながら、来年また咲いてくれるといいけれど、と願っている。

2014/09/05

去る8月28日(木)、大阪にて「あなたらしい魅力が伝わる文章講座」を開催しました。
21人もの方にお集まりいただき、私もとても楽しい時間を過ごすことができました。
お客様の声を、一部抜粋でお届けしますね。
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今日は楽しくわかりやすくあっという間の時間でした。
ありがとうございました。
わかっていてやっていなかったところや考えて書く等当たり前のことをもう一度意識して短い文章から書いてみたいと思いました。
ニガテから書いてみようと思えるようになったこと嬉しく思います。
(Mさん・女性)
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今まで意識していなかったことに光を当てていただいた講座でした。
単語を1つクローズアップしても受け取り方は確かに様々で、色んな側面から表現してみる大切さが分かりました。
最初にやった自分を掘り下げるワークも、今までにやったものとは視点が違い、より具体的になったという点で面白かったです。
文章を書く前のワーク、後で行うチェックリストも、今すぐ使えるものばかりで、今後自分の書く文章がどう変わるか、楽しみです。
(Yさん・女性)
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今まで一番大切なところを出しおしみしていたり、濁していたのは薄々…いえ、結構気づいていましたが、そこのところをよどみなく書いていけるようになれそうな講座でした。
書くことをもっともっと楽しんで(トランポリンでびょんびょん跳んでいるような勢いで)書いてみようと思います。
(Tさん・女性)
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講座でお伝えしたことはたくさんありますが、ひとつずつ、すこしずつ意識していただければ嬉しいです。
またどこかでお目にかかりましょう!
 軽いアレルギーで喉がかゆくなるので、果物には食べられないものも多いのだけれど、和梨は別。この季節になると、喜び勇んで食べる。

 昨日、夫が22個で600円という格安の梨を買ってきた。福島県産だからこんなに安いのだろうか、という複雑な感情を抱きつつ食べたそれは、果汁をたっぷりと含んでどこまでも瑞々しく、私の喉をすんなり滑り落ちていく。梨を剥くと祖母を思い出すのは、自身も梨が大好きだった祖母が、私が学校を休んでいたときによく食べさせてくれたからなのだろう。

 今朝、朝食がわりにまな板の上で半分に割って、はじめて気がついた。小ぶりな梨を半分にした姿は、大好きなミナ・ペルホネンの「ちょうちょ」というテキスタイルにそっくりな形をしているのだった。

2014/08/17

私の幸せ

 小さいときに家の中でいちばん好きだった場所は、グランドピアノの下。そこにたくさんの本を持ち込んで潜り込み、本を読みながら、母や母に習いに来ていた生徒さんのピアノの音を聴くのがたまらなく好きだった。

 今でも、もしかしたらそれはあまり変わらないのかもしれない。我が家のソファの肘掛けは、私の側はいつもこんなふうに本が積み上がっている。そのほとんどがまだ読んでいない本なのだけれど、まだこれだけ読みたい・読まなければならない本があるのだということ自体が、私にとっては幸せなことなのだ。

 将来いつか、壁一面が本棚の自分専用の書斎で、日がな一日本を読んで暮らしたい。友達に貸すことが多くなったら、美しい蔵書票と貸し出しカードをつくって、おいしいコーヒーとケーキも出したりして、ささやかな輪が広がったりしたら嬉しいな、などとぼんやりと考えている。

2014/08/12

お守り

 これまで何種類もの香水を買ってきたけれど、これはリピート必至。柚子の香水だ。

 香りは好みがわかれるものだとは思うが、ブレンドされているアロマオイルは私にとっては鬼門で、いつも決まったものしか買わない。女性らしい香りと言われるローズは苦手、清涼感といえばピカイチであろうミントはさらに輪をかけて苦手ときている。香水はさらに買うのが難しく、「大丈夫そうだな」と思って買ったものにあとになって酔ったことも数えきれない。

 柑橘系の香りには好きなものが多く、その中でも大好きな香りである柚子の香水をずっと探していた。「柚子」とついているものは何でも試してみたけれど、どこか人工的だったり、苦手な香りが混ざっていたりして、半ば諦めかけていた。

 そんなときに見つけたこの香水。そのまんまの柚子の香りで、まるで目の前に丸く黄色い柚子があるかのよう。なんとなく低空飛行のときでも、ひと吹きで簡単に気持ちを上げてくれる、私のお守りだ。

2014/08/08

各地で1day文章講座を開催しています

今年に入ってから、3月10日(月)東京、5月18日(日)神戸、6月7日(日)名古屋、7月27日(日)札幌と、各地で1day文章講座を開催しました。

顔が見えないぶん、文章を書くときは、対面で会話するよりも気をつけなければいけないことが多いもの。

そして、思っているよりも、人は文章のはしばしからいろんな感情を読み取ります。それで一喜一憂したこと、私も数えきれません。
「自分らしさ」も、同じように伝わります。

でも、「自分らしさを活かして文章を書きましょう」と言葉で言うのは簡単ですが、白紙を目の前に手が止まってしまう人も多いはず。
この講座は、しつもんに答えることで自分らしさを導き出し、それを意識しながら実際に文章を書き、8つの項目で文章をチェックしていくという形で進めています。

一部、ご参加いただいた方の感想をご紹介します。

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自分の魅力を知るための魔法の質問がよかったです。
改めて意識して書いてみようと思いました。
(Oさん・男性、東京)
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文章を書く前に答えたい質問のE・F・Gを
知ることができて、ものすごい効果を感じられました。
ここがバチッと決まってから書くと
自分でも納得できる文章が書けると実感できました。
(Mさん・女性、東京)
————
わかりやすく説明を加えながら進めてくださったのでよかったです。
これから書くことを恐れず、少しずつでも自分の考えを
表現していけたらなあと思います。
(Fさん・男性、神戸)
————
今回の講座は説明がとても明確でわかりやすく、
なおかつ、楽しみながら学べたことが大きな収穫でした。
(Gさん・女性、神戸)
————
文章を書く前のしつもんは、本当に教えていただけてよかったです。
なんとなく書くことが多かったので、これからは
“しつもん”してから書きたいと思います。
(Wさん・女性、名古屋)
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どういうことを意識して書くと、自分らしく書けるかの
ポイントがわかりました。
書きたいんだけど、なかなか指が動かなかったのですが、
今夜、まず第1弾を書きます。
(Oさん・女性、名古屋)
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文章を書きたいな、と思うようになりました。
日本語の表現の素晴らしさ、難しさ。
それをよく考えて、相手の気持ち、自分の気持ち、
表現の大切さをしっかり意識しようと思います。
(Nさん・女性、札幌)
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しつもんに答えることで「自分の軸」「文章で何を伝えたいか」が
明確になり、とてもスッキリしました。
(Oさん・女性、札幌)
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8月には大阪で行います。
日程が合わないという場合は、info@cotonoha-crochet.comまでお問い合わせください。

2014/08/07

 

 1日の中でいちばん頭が冴えているのは朝の時間帯だ。中学生の頃から、勉強は朝にしかしなかったし、今も夜更かしは大の苦手で、24時をまわっても起きていることなど、1年を通しても両手の指で足りる。

 だから、昔から大事なことは朝に決めてきた。今でも朝5時過ぎに起きだし、まだ夫が寝静まっている時間帯にひとりで本を読んだり音楽を聴いたりすることで、自分が自分に戻ることができる。気にかかることをぼんやり考えていても、必要以上に考えが暴走しないのもいい。

 夜の親密さとはまたすこし違うけれど、朝は適度な距離を置いて私を見ていてくれる、そんな気がする。

 近くで蝉が鳴いている。今日もまた、新しい1日が始まる。

2014/08/01

 

 いくつか、好きな書店やカフェや図書館がある。そこはいつでも静かな場所だ。
 
 物理的に静かかどうかは、あまり関係がない。どんなにたくさんの人の話し声や音楽で溢れていても、静かな場所は空気が違う。いつでもまっすぐで、どこか凛としている。こちらの姿勢まで正されるような。

 何をつけ足すのでもなく、何を差し引くのでもなく、そのままでそこにあるということ。ただ、そのままで満ち足りていること。

 私も、そして私の文章も、そんな存在でありたいと強く願う。

2014/07/23

 

 ヨガを再開して、そろそろ2ヶ月になる。

 ヘルニアをひどくして泣く泣く休むことになった6年ほど前までやっていたフルプライマリーシリーズに戻れるまでには3ヶ月くらいかかるだろう、と思っていたけれど、予想よりも早く、1ヶ月で戻れた。そして、そうなるとそれ以上の目に見える進歩はなかなかなく、毎日スタジオに通っているけれど、頭の中ははてなマークばかり。

 アシュタンガヨガは、世界中どこでも同じ順序で同じポーズをしていくと決まっている。そのポーズのときにどこを見るかという視点さえも決められているのだ。

 それなのに、私はなかなか呼吸に集中できず、周りの人が気になり、自分より進んでいる人と比べて勝手に落ち込んだり、肩に力が入ったりしている。生き方の縮小版と言ってもいいのかもしれない。

 周りの人を目に入れず、リラックスしながらポーズを取り、自分の流れだけを意識できるのはいつになるのだろう。

 ひとつだけわかっているのは、ヨガにはゴールはないということ。ただただ、日々の練習を積み重ねるしかないのだ。いつか突然、花開く日が来ると信じて。

2014/07/10

 

「手仕事」という言葉に弱い。

 私の父は、自らが資格に助けられてきたということもあって、私には小さいころから「何か資格を取りなさい。そうでなければ、手に職をつけるといい」と言い続けてきた人だ。

 家庭の事情で、浪人してでも医学部に行きたいという夢を諦めた父は、きっと娘のうちの誰かに、それを代わりにかなえてほしかったのだろうと思う。それなのに、私たち姉妹3人は、医学部はおろか、誰ひとりとして理系にさえも進まなかった。

 数学と物理が絶望的にできなかった私には、理系という選択肢ははじめからなく、かといって大学を卒業したら何になるのかもまったく見えていなかった。今でも、役に立つ資格などほとんど持っていないし、手に職があると言える状態でもない。

 だからこそ、なのか、自分の手で何かをつくり出せる人のことを強烈に羨ましく思う。「てづくり市」だの「ハンドクラフトマーケット」だのという文字を見かけると、ふらふらと引き寄せられるように会場に行ってしまう。そしてまたコンプレックスを刺激されてうなだれて帰ってくる、というのがいつものパターンだ。

 母もふたりの妹も、裁縫や編み物が好きで得意だ。どうして私だけそうじゃないんだろう、と、すぐ近くで手仕事をする人たちを横目に、諦めのため息をついている。


2014/06/18

枯れる準備

 両親がお墓を買ったのだという。
 不思議と何の感慨も湧かず、あえて言うなら、もうそんな歳になったのね、と思うだけだった。
 複雑な家庭環境で育った父には、もはや実家と呼べるところはとうの昔になく、人生のほぼすべてを実の親と同居してきた母には妹しかおらず、祖父母の苗字は途絶えてしまい、入るお墓がなかった。2年前に70歳を超えた父と来年70歳を迎える母にとっては、ずっと気になっていたことだったのだろうと思う。
 市内の、ちょっと高台の、山みたいになってるところでね、見晴らしがいいのよ、お墓参りに来てくれた人がいい景色が見えるように、西向きの区画を買ったの、私たちが2人とも死んだら、そのまま永代供養になるから、何も気にしなくていいからね、……。
 そんなふうに話す両親の言葉を聞きながら、私は、この人たちは穏やかに枯れる準備をしている、とだけ思ったのだった。そして、人はみんな、結局そこに行き着くのだな、とも。

2014/06/13

違う景色

 小さいときに嫌いだったのは、歯医者に行くことと眼科に行くこと。歯医者はあの「キーン」という音がたまらなく嫌だし(今でも怖い)、眼科は視力検査で見えなくて「わかりません」と言うのが嫌だった。はじめてめがねをつくってもらったとき、それまではぼやけていた楽譜があまりにはっきり見えるので驚いたことを覚えている。
 久しぶりに、コンタクトレンズを新しいものに変えた。裸眼がどちらも0.1ない私はド近眼で、めがねをつくれば牛乳瓶の底のような厚いレンズになってしまうので、高校時代からもっぱらコンタクトだ。
 「かなり度が強いねえ」と言われながら検査してもらった目には傷もないそうで、ドライアイであることを指摘された以外は特に気になることもなかった。
 注文していたレンズを受け取りに行き、新しいレンズを目に入れ、いつもより目をぱちぱちさせた。見えるものが変わるわけではないのに、なんだか景色が違うような気がするのはなぜなのだろう、と思う。

2014/06/03

ヨガマット越しの対話

 ブラックマットと呼ばれるmandukaのヨガマットを持っている。スポーツ店で1,500円くらいで買えるヨガマットを基準にするとかなり高いけれど、そのぶんグリップ力もあり、どんなに汗をかいても滑らないところが気に入っている。
 はじめてヨガのレッスンに行ったのは10年前。かなり熱心にレッスンに通い、ときには自宅でも練習していた。それが、ヘルニアがひどくなってから離れざるを得なくなって、6年ほどが経つ。
 それでも、自他ともに認める極度の運動音痴の私が人と比べることなく体を動かすことができ、その上精神的にも穏やかになれるヨガは、いつか再開したいと思っていた。
 久しぶりにやったヨガは、やっぱり楽しかった。以前はできていたポーズもできなくなっているし、できなかったバランス系や逆転系のポーズはますますできなくなっているけれど、それでも呼吸に意識を集中してひとつひとつ確認しながら動いていくのは、自分自身に深く下りていくようで心地よかった。
 対話なのだな、と思う。ヨガを通して、自分の体や心と対話をする時間をつくっているのだ。
 今日体験に行ったヨガスタジオに、その場でそのまま入会してきた。これからまた、ブラックマットを担いでレッスンに通う日々が始まる。

2014/05/24

自分で獲得していく

 「自信って、人から持たせてもらうものではないですから」と大口をたたいたあと、これは自分に言い聞かせているのかもしれない、と思った。
 ここ数日、肩書きについて考えている。
 昨年独立して最初に名刺をつくったときは、ライターとは書けなかったし言えなかった。自信も実績もない私なんかがライターと名乗っていいのかどうか、という腰が引けた状態だったからだと、今ならわかる。でもそのときは、どう考えてもそうは書けなかったのだ。
 フリーになって1年とすこし経って、やっと言えるようになった気がする。昔から面識がある人に「ライターです」と言うのが気恥ずかしいことには、今でも変わりはない。それでも1年経って、昨年の自分よりは自信が持てるようになったのだな、としみじみ感じている。
 そして、やっぱり自信は自分自身で手にしていくもの。あくまでも、自分でたくさんの経験と失敗を繰り返しながら獲得していくものでしかないのだ。
 迷わないわけがない。迷いを内包して、それでも必要なときが来たら迷わずに翼を広げるという覚悟のようなものが、自信につながるのだろうと思う。そしてそれが意図せずに自然に表にあらわれたときに、きっと私自身の言葉が生まれるのだろうと思っている。


2014/05/09

足踏みミシン

 口が裂けても手先が器用だとは言えないので(ここで私のことをよく知っている何人かはうんうんと頷くに違いない)、母や妹たちが大好きな裁縫や編み物とは、私自身はまったく縁がない。ミシンだって、もう何年も触ったことがない。
 亡くなった祖母が愛用していたのは、足踏み式のミシンだった。「ジャノメミシン」と書いてあったそれは、黒くてどっしりとしていて、庭が見える場所に、カバーをかけられて置いてあった。
 一時期私が好きだった遊びは、そのミシンを使い、延々と紙に穴を空けていく、というものだった。もちろんそのミシンを使うのには祖母の許可がいる。「ねえおばあちゃん、あれやりたい」とねだっては、針を古いものに付け替えてもらい、いらないチラシや画用紙をそこにあてがって、踏み板に足を乗せる。足は互い違いに置いたほうがいいのよ、と祖母に教えられてそっと踏むと、むき出しになった茶色の革のベルトがぶうんという音を立てて回りだし、それと同時に紙に一定の間隔で穴が空いていくのが、なぜかたまらなくおもしろかったのだ。
 すっかり忘れていたけれど、神戸の異人館に展示されていた足踏みミシンを見て、ふっと記憶が蘇ってきた。そういえば、家の中でかくれんぼをするときは、よくミシンの下に隠れていたものだった。
 小さかった私にとっては、ミシンはピアノと同じ種類のものだった。つまり、自分が動かしているのだという実感を持てていたもの。今はあらゆるものがコンピューターやシステムで動いているけれど、きっちりと組み立てられ、それを自分で動かしていけるという実質的な喜びを感じていたのだと思う。ミシンは処分され、ピアノもあまり弾かなくなってしまったけれど、自分の動かしたように動くものの美しさは、今でも私の根っこに息づいている。

2014/05/05

思いと形/お知らせ

 3月から4月にかけて一生懸命取り組んでいた仕事が、ひとつの形になった。どんなに大変だと思っても、この瞬間があるから仕事をしていられるのだな、と思わずにはいられない。
 思いが形になり、形は思いを加速させる。そして、私はそのプロセスに、何よりもぞくぞくするのだと思う。
 ということで、6人の方々に取材させていただいた「しつもん通信」2号ができ上がりました。
 今回の特集は「しつもん先生」。子どもたちの教育に魔法の質問を活用している方々を取り上げました。
*5月8日追記:在庫がなくなってしまったため、送付は終了いたしました。
 たくさんの方に読んでいただけたら、とても嬉しいです。

2014/04/27

またあしたね

 「またあしたね」って、なんて美しくて、切なくて、甘い言葉なんだろう。ともすれば涙ぐみそうにさえなるほどに。
 また明日も大好きな人たちと会える、その幸せを夕焼けとともに感じる。

2014/04/24

祖母の百人一首

 小さいころから祖母と一緒に百人一首に親しんでいたおかげで、この季節になると思い出す歌が二首ある。ひとつは紀友則の「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」、もう一首は西行法師の「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」だ。
 百人一首は私の中では祖母と分かちがたく結びついていて、祖母との思い出の中でも特にくっきりと際立っている。それまでに自分が遊んでいたような子ども用のかるたと違い、小さかった私にとっては、すこし小さなサイズで昔風の絵がついた百人一首はなんだか典雅なものに思えて、うかつに触っていいものかどうか迷ったことを思い出す。きちんと箱に収められたそれは、子どもが触るのを禁じられていた棚の中に入っていた。日頃から着物を着て暮らしていた祖母と百人一首をとるときは、畳の上で衣擦れの音がいつもより大きく聞こえるような気がした。
 百人一首で最初に教えてもらったのが紀友則の歌で、祖母は「おばあちゃんはこの歌が百人一首の中でいちばん好きなのよ」と繰り返し言っていた。わけもわからずに、ただ口伝えで覚えたはじめての短歌。西行法師の歌は、それからしばらくして覚えた。桜並木を歩きながら、この木1本1本の下に全部屍体が埋まっていたらぞっとする、と考えたこともある。
 中学に入ってから、国語の授業で百人一首を学んだこともあり、一時は百首すべて覚えていた。でもいつのまにか記憶はすっかり抜け落ち、今そらで思い出せるのは、この二首と「むすめふさほせ」の十首足らずでしかない。
 あの百人一首は、今はどこにあるのだろう。まだあの棚の中で、ひっそりと息づいているのだろうか。
 あと数日で、祖母の命日がやってくる。

2014/04/22

きちんと暮らす

 「きちんと暮らす」という言葉の定義は人それぞれだろうけれど、私にとっては、規則正しく穏やかな生活をするのと同時に、細かな小さいことを着実に終わらせていくことでもある。
 日々ばたばたと移動しながら暮らしていると、その小さなことをこなすのが難しくなる。たとえば冬物のスカートとコートをクリーニングに出すこと、ヒールのスエードがめくれてしまったパンプスを修理に出すこと、革の財布や手帳に定期的にクリームを塗り込んで手入れをすること…。ひとつひとつは決して手間がかかることではないのに、忙しいからとうっちゃっておくと、これがなかなかどうして、まとまった量になって心に重くのしかかる。
 昨日の夜札幌から戻ってきて、クリーニング店と靴の修理屋さんからスカートとパンプスを引き取り、革ものにクリームを塗って、引っかかっていた棘をひとつずつ片付けた。そして、ただそれだけで自分が普段からきちんと暮らしているような気になるのだから、自分はなんと単純なことよ、と思う。

2014/04/11

贅沢で無駄な空間

 文房具が好きだ。ノートにボールペン、万年筆などの小さい働きものたち。小さい頃はレターセットばかり買いあつめ、「それほど手紙なんて書かないのにどうしてそんなに欲しがるの」と母に呆れられていたこともある。
 仕事用のノートはモレスキンを使う、と決めてから3年。ゴッホやチャトウィンが使っていたというエピソードは、でも私にはそれほど重要ではない。それまでは使い終わったノートのどこに何が書いてあるのかを探したり、適当に取ったメモがどこに行ってしまったのかを探したりすることにずいぶん時間を費やしていたから、手帳のように1冊のノートを1年間使いつづければいいのだ、と気づいたときは、目の前がちょっと明るくなったような気がしたのだった。
 黒の無骨なハードカバーにクリーム色がかった紙、ゴムバンドで全体をしっかりとホールドできるという、ただそれだけの機能は、シンプルでこの上なく無駄がない。無地を使うと際限なく文字が斜めになりそうなのが嫌で、いつも罫線入りのものを買う。自宅では1日1ページのラージサイズを使い、出張や取材にはポケットサイズを持ち歩く。
 モレスキンそのものにはまったく無駄がないのに、ひとたびページを広げると、その向こうにはちょっと贅沢で無駄な空間が大きく広がる。たとえ、書いてあることが取材メモであっても、かけなければならない電話番号であったとしても、それを書きつけたときの空気感までよみがえるような気がするのだ。

2014/04/10

 神戸と名古屋では、桜がこれでもかとばかりに咲き誇っていた。今日、友達から届いたメールマガジンには、毎年この桜の時期に行っている新宿御苑に行きそびれたことが書いてあった。
 山形の桜は、まだもうすこし先。家からほど近いさくらロードをお散歩することを楽しみにしながら、神戸の桜の写真を眺めている。
 空気や指先まで薄く染まる季節は、もう、すぐそこだ。

2014/04/09

 先月の末に、はじめて神戸に行った。いつか行ってみたいと思っていた場所。
 異人館の街並みの中を、カメラをぶら下げ、妹と他愛のない話をしながらゆっくりと歩く。姉妹の気易さで、黙っていてもほうっておいてくれるのがいい。普段はすぐ車に乗ってしまうので、妹と一緒にのんびり歩くというシチュエーションそのものが久しぶりだった。
 「仕事はどうなの」、「今は何してるの」、そんなことをお互いぽつりぽつりと話す。ランチに入ったカフェでイイダ傘店の展示があったので、喜んで2人で眺める。まだすこし肌寒かった山形とは打って変わって、ちょうど桜が綺麗に咲いていた。
 神戸は、春の匂いがした。そして、ほんのすこしだけ、異国情緒の匂いもした。

2014/03/25

旅への第一歩

 一時期、パスポートをバッグに入れて持ち歩いていたことがある。
 身分証明書としては運転免許証があるし、健康保険証も持っている。それなのにいつもパスポートを持っていたのは、それだけでなんとなく、「ここではないどこか」に近づくような気がしたからだ。
 数年前からあちこちに移動する生活を続けているけれど、あらかじめ予定を立てるのではなく、ふらっと気が向いて訪れた駅や空港からどこかに旅立つ、ということにずっと憧れている。自分でも行き先の不確かな旅。そのとき空いている飛行機や新幹線に飛び乗って、どこかに行ってみたい。そしてそれが海外でもいいようにパスポートを持っていたのだ、というと笑われそうだけれど、でも本気でそう思っていた。
 3年前につくり直したパスポートは、まだほんの少ししかスタンプが押されていない。あと7年、どれだけの国に行けるだろうか。そして、私は降り立った先で何を感じるのだろうか。

2014/03/23

回復の術

 先週の日曜日はネイルサロンに行き、おとといは美容院に行ってきた。
 ネイルサロンも美容院も、行かなければ行かないでもなんとかなる。けれど、あえてそういうところに行くことが、どうしても必要なときもあるのだ。
 ここ2週間ほど、ずっと休みなく仕事をしている。疲れたなあ、と思ったときに、こうやって自分をいたわるためだけのゆっくりした時間を取ることと、人に手をかけてもらえるだけの存在であるということを実感することで、すこし回復することができる。
 爪を磨いてもらって、きれいなグラデーションにしてもらうこと。くっくっと指に力を入れて髪の毛を洗ってもらい、伸びた分だけ髪を切り、カラーリングのリタッチをしてもらうこと。そんなささやかなことで、またこれから数週間、新しい気持ちで過ごすことができるのだ、と思う。


2014/03/20

焦がれる

 東京ではもう春一番が吹いたというのに、今日の山形はまた雪が降った。ただ、雪とはいっても、たっぷりと水分を含んだみぞれのようなぼたぼた雪だ。
 一度だけ、きちんと桜を見られなかった春がある。高校を卒業した年、大学受験が終わり、私の引っ越しは4月の入学式の直前と決まった。山形の桜が咲きはじめるのは4月の中旬以降で、とりわけ暖かかったその年、引っ越した静岡ではとっくに桜吹雪になっていた。県立美術館から大学へと続く桜並木の下を歩きながら、桜を見られないことを残念に思ったことを思い出す。その分、次の年に見た、レンガづくりの校舎の手前に咲く満開の桜は、とても美しく感じられたのだった。
 あと1ヶ月もすれば、空気さえも薄いピンクに染まる。そして、今の私は、そのときが来るのを心待ちにしている。焦がれている、と言ってもいいほどに。

2014/03/13

その人にしか編めない物語

 同じ体験をしていても、見えるものは違うし感じることも違う。その体験はその人だけのものだけれど、それをその人自身の言葉で聞かせてもらえるというのは幸せなことだと思う。
 今週は連日取材の予定が入っていて、あちこちに足を延ばしている。人にはそれぞれその人だけの物語がある、というのが私の信条だけれど、やっぱり何回でも、繰り返し繰り返しそう思う。人には、その人にしか編めない物語があるのだ。
 原稿にはまとめきれない物語をたっぷり聞かせてもらえるなんて、ほんとうに役得。それを伝えられるように、せめて私の中で言葉を熟成させなければ、と思っている。私というフィルターを通して、その人の思いが存分に伝わることを願って。

2014/03/11

春の足音

 先週は人生ではじめてインフルエンザになった。1週間をほぼまるまる寝たまま過ごし、その合間にどうしても締切を延ばせない仕事をなんとか終わらせ、昨日から東京に来ている。
 昨日は渋谷で仕事。ランチタイムに花屋さんを覗いたら、黄色くこぼれる花束が目についた。ミモザだ。
 ミモザは私にとっては春を告げる花だ。東京でひとり暮らしをしていたときは、最寄り駅のすぐそばにお気に入りの花屋さんがあって、この時期になるとひと抱えもあるようなミモザを買って活けたものだった、と思い出す。風は冷たくても、もう、春はすぐそばまで来ているのだ。
 今日、ピンクのスプリングコートを買った。袖を通せるのはいつになるのか、今から楽しみにしている。

2014/02/28

詩のやさしさ

 ところで「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」と書いたのは宮沢賢治で、『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』、『セロ弾きのゴーシュ』などで有名だけれど、私が大事にしているのは、むしろ宮沢賢治の詩のほうだ。中でも、「告別」という一編がたまらなく好きで、姿勢を正したいときに読み返す。
*「告別」 は新潮文庫の『新編 宮沢賢治詩集』所収
 「告別」は10年以上前から大好きな詩だ。ただ、詩を読むようになったのは、明らかに震災以降のこと。当時は長い文章を読めず、読んだとしてもただ素通りするだけだったのに、詩はすうっと気持ちに馴染んで浸透してくるような感覚だったのだ。宮沢賢治だけでなく、谷川俊太郎、長田弘、池澤夏樹、高村光太郎、工藤直子、と貪り読んだ。
 そのときの私は、震災で欠けてしまったものを探していたのだと思う。テレビのニュースを見ては泣き、ネットを巡回しては泣き、空を見ては泣いていた私は、もちろん詩を読みながらも泣いた。
 詩は、やさしい。底抜けに。それが、私が探していたピースだったのだ。

2014/02/27

かた雪かんこ

 冬になって雪が積もると、歩くときにいつも「かた雪かんこ、しみ雪しんこ、かた雪かんかん、しみ雪しんしん」と頭の中で何回も唱えている。四郎とかん子と狐のように。キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。
 冬は大好きだけれど、そろそろ春が待ち遠しくなってきた。もうすぐ、「かた雪かんこ」の季節も終わる。春になったら、買ったばかりの白いライダースジャケットを羽織って、春用のブーツの踵を鳴らして歩きたい。
 かた雪かんこ、しみ雪しんこ。

2014/02/25

 仕事で、朝早い高速バスに乗って仙台に向かった。路線バスに乗り換えるために仙台駅で下りたら、ペデストリアンデッキは人、人、人。よく考えれば、今日は国公立大学の2次試験だった。
 自分の2次試験のときのことも、呆れるくらいまだ覚えている。最寄り駅から大学までの上り坂に目を見張ったこと、キャンパスから見えた富士山がとてもきれいだったこと、試験監督は白いセーターにジーンズを穿いていたこと(あとから思えばフランス語の先生だった)、女子高だった私にとっては、同じ教室に男性がいるのが久しぶりで変な感じがしたこと…。
 通っていた高校は進学校だったにも関わらず、私は勉強にも部活にもそれほど熱中することなく、ただぼんやりと暮らしている高校生で、受験勉強もそれなりにしかやらなかった。それでも願書を出し、書類が届いて末尾に5がついた受験票を眺めているときに、母が「5のついた番号は『5を書く』、合格っていう意味につながるから縁起がいいのよ」と言ったことは忘れられない。普段は縁起かつぎのようなことを一切言わない母なのに、ああ、励まされてるんだなあ、と思った午後の日差しの感じまでも。
 あの大学に行かなかったら、今の私はないのだ。不思議な力に導かれて、その人にとってベストな道を歩くのが人生なのだな、と思わずにはいられない。たくさんの受験生たちの前にもきらきら光る未来がありますように、と朝日の中で思った。

2014/02/24

旅先での旅

 旅には必ず文庫本を持っていくけれど(重量の制限がなければ、そして私がもっと力持ちであればハードカバーを持っていくところなのだけれど)、旅のときにバッグに入れるのはエッセイだ。小説は持っていかない。
 小説はそれそのものが旅だから、旅先で旅をする必要はない、ずっとそう思ってきたのに、なぜか今回手荷物にしのばせたのは、池澤夏樹の『光の指で触れよ』という小説だった。ここ3年ほど、何回読み返したかわからない。
 私にとっての池澤夏樹の文章は、なんというか、新しい精神世界に触れるようなものだ。新しい哲学や新しい宗教のような。今まで気づきもしなかった新しい道を、ほら見てごらん、と目の前に示されるような感じ。そしてそれを見てしまったが最後、知らなかったときにはもう戻れないのだ。新しい世界と自分とをつないでくれる作家。
 飛行機の中で、ホテルの部屋で、折に触れて本を開いた。どこかに向かう旅の途中にアムステルダムやスコットランド、そして自分の心の中に旅をするのは、悪くない気分だった。

2014/02/23

物語を編む

 「ものがたり」という言葉について考えている。
 インターネットで取り上げられるニュースや頻繁に読みにいくブログも、その多くは誰かの物語だ。人にはそれぞれの物語があって、それはその人にしかつくれなかったもの。そう考えると、その物語を編んだだけで、人生には価値があるのだと思う。
 新卒で出版社に入社したとき、ある上司が「編集者とは、言葉を集めて編む人だ。その『編集者』という言葉の奥にある意味を考えながら仕事をしなさい」と言ったことを今でも憶えている。それからずっと、「言葉を集めて編む」という表現そのものが、私の目指す方向を指し示しているといっても過言ではない。
 生きることが物語を生むことなのであれば、私はより多くの人に私の物語を知ってほしいし、より多くの人の物語を知り、それを人に伝えたい。深く人と関わりあっていきたい。
 私の物語の舞台は、ほかの誰でもなく、私の人生だ。これからも、私の人生で、私の物語を編んでいく。小さくても新しい物語を紡いで、ただ差し出していくという、ささやかな決意。

2014/02/22

 それが日本のどこであっても、本がたくさんあるところは落ち着く。いくつか気に入っている書店があって、山形だったらやはり八文字屋本店、仙台はジュンク堂(お店にたどり着くまでが難関だけれど!)とあゆみブックス、大阪ならスタンダードブックストアが好きだし、学生時代当時の静岡では戸田書店が好きだった。東京だったら3つ、京都なら2つ、好きな書店を思い浮かべる。

 だから、海外に行っても、まず書店を探す。居心地がいい書店があれば、もうそれだけでいい。ロンドンではチャリング・クロスに足を向けてしまうし、それほど大きな書店がなかったニューカッスルでは、大学の図書館に入り浸っていた。

 フィンランドに行くと決まってから、ここには必ず行きたいと思っていたところのひとつがアカデミア書店だ。アルヴァ・アアルトの設計で建てられた場所。

 実際に訪れたアカデミア書店は、吹き抜けになっている天井が解放感を感じさせ、平積みや面陳の本さえもアアルトの作品の一部のようだった。ここで平気で1日を過ごせてしまう。

 英語と違ってフィンランド語はまったくわからないし、字面を見て意味を推測することすらできない。けれど、それでも本があるというだけで私は単純にわくわくし、手当たり次第にいろんな本をめくってきたのだった。



2014/02/21

visitorがvisitorのままでいられる場所

 そういえば、フィンランドでは、嫌な思いをただの1回もしなかった。
 ニューカッスルはイングランドの北部にあって、スコットランドにほど近い。一時は炭鉱で栄えたのだというが、それほど大きな都市ではなく、留学生にも住みやすいところだ。私はごく普通のイギリス人家庭にホームステイし、自分がアジア人であることを気にしたことはなかった。
 でも、ロンドンでは違った。ほんの数日滞在しただけなのに、人種差別的な言葉がつきまとう。英語もできない、実年齢より子どもに見える”visitor”であることを、どうしても意識せずにはいられなかった。
 たぶん、悪気はないのだ。意識しない優位性とでも言えばいいのか。たまたまだったのかもしれないし、あまりにも私が英語ができないことにいらいらさせられたのかもしれない。もちろんそんな人ばかりではなかったけれど、イギリスという国では私は外国人であるということを痛感させられ、痛感させられたことに傷ついたのも事実だった。それでも、私はイギリスが大好きなのだけれど。
 フィンランドの人はみんな親切だった。お店に入ればマニュアルではない笑顔が返ってくるし、料理をサーブしながら「楽しんでる?」と声をかけてくれる。トラムの乗り場でまごついていれば「どこに行きたいの?ここに行きたいなら、この停留所で降りればいいよ」と教えてくれる。べったりもしていないし、かといってそっけなさすぎない、その距離感がとても心地よかった。
 visitorがvisitorのままでいられる場所。フィンランドに恋をしてしまったのは、それも大きな理由のひとつなのかもしれない。

2014/02/20

遠泳

 「編集者の特権は、最初の読者になれること」だと思っていたけれど、それになぞらえて言えば、「校正者の特権は、言葉で著者と読者の橋渡しができること」だと思う。
 それでも、いつも初校のゲラを目にすると、深い海の底にいるような気分になる。このゲラをどこに連れていって、どう上陸させればいいのか、そのためにはどんなルートで行けばいいのか、その本ごとに正解は違うから。言葉の海でただ泳ぐしかないとはわかっていても、やはり途方に暮れる。
 丹念に文章を読み込んでいくと、著者の意図はくっきりと浮かび上がってくる。こういうことを言いたいんだな、だとしたら表現をこう変えたらいいんじゃないかな、言葉の順番を入れ替えてみようか、この読点はないほうがいいんじゃないか…。そこにある思いを踏まえた上で、どうしたら読者にもっと伝わるのか試行錯誤する、そんなことの繰り返しだ。
 印刷所に入稿するまで、遠泳はまだ続く。

2014/02/19

魂を売り渡す

 私にとっては、「ケーキを買う」ことよりも「チョコレートを買う」ことのほうが特別で、さらにそれが「銀座でチョコレートを買う」ことであれば、そりゃあうきうきしないわけがないのだった。
 ぐっと力を入れて重いドアを押し、朱色がかった赤とチョコレートブラウンに彩られた店内で、ショーケースに並べられたきれいなチョコレートに、うわあ、と声を上げる。次々と目移りして、オランジェットも大好きだし、アソートはパッケージもかわいいし、板チョコもおいしそうだし、でも自分でも選びたいし…とさんざん逡巡して、結局ショーケースから4種類のチョコレートを選んだ。
 ガナッシュにプラリネを2つ、それにシャンパンのトリュフ。チョコレートは名前さえもうっとりする。チョコレートが詰められた小さい赤い箱をさらに赤い袋に入れてもらって、銀座の街を機嫌よく歩いた。
 チョコレートは幸せ以外の何者でもないのに、それでいて蠱惑的で、食べるときはいつもどこか後ろめたいような気がするのは、きっとチョコレートという悪魔に少しだけ魂を売り渡すからだ、と思っている。

2014/02/17

諦念と哀しみ

 ときどき、自分は旅が好きなのではなく、移動するのが好きなのではないかと思ってしまう。移動も旅の一部なのだと思うけれど、それでも。
 新幹線や飛行機に乗り込み、自分の体が時速数百キロの速度でどこかに運ばれていくことが、私にとっては自分の中の風通しをよくすることなのだと思う。たとえ自分で決めた旅だとしても、自分の意志とは関係なく、否応なしにどこかに行かなければならないという小さな諦念と、ああ、これでもう元には戻れない、というささやかな哀しみ。
 週末の大雪で、昨日の夕方まで山形新幹線が運休だったので、今日の移動は飛行機に切り替えた。飛行機は定刻通り飛び立ち、私は機内でまだ終わっていない仕事をすることもなく、本も開かず音楽も聞かず、ただぼんやりとしていた。
 上空は、今日も青かった。

2014/02/16

旅の共有

 まだ、フィンランドに行ったときのことをうまく書ける気がしない。
 旅はごくごく個人的なもので、今回は5人で行った旅だったけれど、誰かと一緒にいたとしても、結局はひとりなのだ。私は私の感じたことしか書けず、それは抽象的にしかならない気がする。
 本当にこの旅を誰かと共有できたらいいのに、とも思うけれど、それはできないことだと知っている。たったひとりで、心と目に刻んでいくしかない。そして、共有できないことを知りつつ、それでも私が感じて考えたことをそのまま伝えられたらいいのに、と願っている。

2014/02/15

「理由」という名のストーリー

 オリンピックが大好きな私は、ここ最近テレビに釘付けになっている。
 アスリートと呼ばれる人は美しい。自他ともに認める極度の運動音痴の私にとっては、アスリートは対極にいる人たちで、だからこそ美しいと思うのかもしれない。しなやかな身のこなしも、攻めの姿勢も、真剣なまなざしも。
 たくさんの競技があるけれど、どうしてそれを選んだのか、どうしてその競技をすることになったのかということに、私はとても興味がある。どこまでいっても、「理由」という名のストーリーを知りたいのだ。
 いつか、そんな人たちに直接話を聞いてみたい、とぼんやり思っている。

2014/02/14

人を信じるということ

 深夜のモスバーガーでハンバーガーにかぶりつきながら、彼女は「もっと人を信じてもいいんじゃない?」と私に言ったのだった。
 仲良くなって間もないときに、ふとした瞬間に突然そう言われて、私はたぶん鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたのだろう。笑いながら、「人は思ってるよりも優しいよ。もっと人を信じても大丈夫だよ」と繰り返し言った。
 でも、そのときの私は、本当にはその意味を理解していなかったのだと思う。そうなのかなあ、と返事はしたものの、今思えば、たしかに当時の私は人を信じていなかった。信じていなかったから人が怖くて、だからより攻撃的になっていた。きっと彼女は、そんな私を見抜いていたのだと思う。今はダメな自分も前よりずっと受け入れられているし、自分でも開いてきたと感じている。
 もう彼女と交流はないけれど、今の私は彼女にはどう見えるのだろう、とときどき思い出す。

2014/02/13

無邪気という概念

 「無邪気」なんて言葉は信じていなかった。小さい頃から、周りの人がどうして欲しいのかを読み取り、変なところで大人ぶってきた私にとっては、まったく理解できない概念だったから。
 一度そう振る舞ったことで、これからもそうしてくれるのだろうという期待を感じ取ってしまい、私はますます自分のそんな要素を自分の奥底に閉じ込めた。だからこそ、無邪気そうに見える人のことは、軽蔑しつつも強烈に羨ましかった。無邪気でいられるって、ひとつの才能だ、と思っていた。
 外側に合わせて、自分の形を変えることはいくらでもできた。実際そうしてきたし、大人という人種はみんなそういうことをしているのだと思っていた。そこには「邪気」が入り込んでいるのだから、もはや無邪気ではない、と思っていたのだ。
 でも、世の中には大人になっても無邪気な人がたくさんいる。そして、例外なく、そういう人たちは楽しそうに見える。
 大人が無邪気でいてもいいのだ、ということ。ピッピやロッタちゃんみたいに自由でありたい。

2014/02/12

かなわない

 東北芸術工科大学の卒展を観に行った。
 毎年毎年、かなわないなあ、と思う。今年もまた、かなわないなあ、と思った。
 頭の中にモヤモヤと存在している何かを、他の人がわかるような形で見せられるようにするためには膨大な時間がかかるはずだ。そしてさらに他の人に共感し、いいと思ってもらうためにはどれだけのエネルギーを注がなければならないのだろう。そんなことに4年間ずっと取り組んでいた人たちには、やっぱりかなわない。
 かなわない、と思いつつ、それでも私は書くしかないということもわかっている。4年間ずっと時間を費やした人には遠く及ばなくても、私には書くことしかできないのだ。それを痛感し、また刺激を受けた展示だった。
 私の中のクリエイティビティを、閉じ込めておいてはいけない。