2012/12/31

 イメージすること、確信することができたら、願いは叶うはず。
 来年も、絶対に楽しい年にする。そして、自分が立つべき場所にすっくと立ち、変化を恐れずに楽しもう。
 ここでこうやってまた書きはじめることができて、ほんとうによかった。読んでくださったみなさん、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください!

2012/12/30

傷の共有

 傷ついた、とか、傷つけてしまった、と思うときに、必ず思い出す文章がある。
 「傷を気に病むなんてばかげてるわ」
 ある日私は指摘した。
 「生きていれば、物も人も傷つくのよ。避けられない。それより汚れを気にしたほうが合理的でしょう? 傷は消せないけど汚れは消せるんだから」
 夫は表情も変えず、違うね、と、言った。
 「汚れは、落とす気になれば落とせるんだからほっといていいんだ。汚れることは避けられない。傷は避けられるんだから、注意深くなりなさい」
 私はびっくりしてしまった。人は(たとえ一緒に暮していても)、なんて違う考え方をするのだろう。
 「避けられないのは傷の方よ。いきなりくるんだもの」
 私は主張する。
 「生活していれば、どうしたって傷つくのよ。壁も床も、あなたも私も」
 主張しながら、なんだかかなしくなってしまった。
(江國香織『とるにたらないものもの』集英社、「傷」79〜80ページより)
 たしかに、どうしたって生きていれば傷つく。傷つくのだし、傷つけるのだからそれはしかたがないと思う。しかたがないから、それでも、と前を見るしかない。傷のいいところは、いつしか忘れ、忘れないまでも薄れるところなのだと思っている。そして、それよりもいいのは、傷を共有したという、ひりひりした記憶なのかもしれない。

2012/12/29

移動する視点

 世の中には、歌を聞くときに歌詞に注目している人がたくさんいるらしい。
 私は絶対音感を持っている。音がドレミで聞こえるという、あれだ。小さいときにそういうレッスンを受けたせいなのか、それが当たり前だと思っていたし、世の中の人はみんなができるのだと思っていた。どの曲を聞いても、その音の音階がわかる。だから、私にとっては、歌詞は音階の代わりに発するものでしかない。今でもそうだ。
 このあいだお風呂の中でラジオを聴いていたら、あるバンドの歌詞について語ろう、という番組が放送されていた。「そのバンドの曲の歌詞に共感し、励まされ、支えられたことがあるのではないだろうか」というコンセプトの番組だった。たくさんのリスナーが、「この曲のここの歌詞がいいのだ」というエピソードやメッセージを送っていたけれど、私にはどれもはじめて認識する歌詞ばかりだったのだ。私もそのバンドが好きで、頻繁に歌っているのにもかかわらず、だ。
 私の言葉への偏重っぷりは自分でも呆れるほどだけれど、メロディがあるととたんに音しか聞こえなくなるらしい。ちょっとおもしろい発見だった。

2012/12/26

言い切る覚悟

 ーーテレンティウスという古代羅馬の劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要なものに手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」。
 ディミィトリスは瞬きもせず私の目を真っ直ぐに捉え、力強く言い切った。弱くなった午後の日の光が部屋に満ち、ムハンマドのつくるスープの匂いが調理場から流れてきた。
 帰国してからも、私は永くこの言葉を忘れない。
(梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』角川文庫、84ページより)
 私自身に、「私に無縁なことは一つもない」と言える覚悟は、まだない。

2012/12/24

恐ろしい言葉

 この時期になると、他人が発する言葉が怖くなる。「メリクリ」「あけおめ」「ことよろ」がその理由だ。
 理由は判然としないのだが、私はとにかくこの3つの言葉が苦手だ。今こうやって書くことすら嫌々ながらなのだ。どんな顔をしてそれを発しているのか、他人の顔を見るのも恐ろしいとまで思う。そして私にとっては不都合なことに、それらの言葉はもうすでに市民権を得ているらしい。あちこちから聞こえるそれらに、私はいちいち気持ちを揺らされることになる。自分でも、なんと大袈裟なことよ、と思わずにはいられないのだけれど。
 それはそれとして、メリー・クリスマス! よいクリスマスを。

2012/12/22

父のような存在

 車を運転していたときに、以前働いていたビルの前を通ったら、とたんに記憶があふれてきた。
 30代も半ばになり、翻弄され続けているとはいえ、まがりなりにもこれまで仕事をしてこられたのは、手本となる2人の上司がいたからだ。そのうちのひとりが、そのビルで働いていたときの上司で、会うことは少なくなったけれど今でも尊敬している。自分の会社を経営しながら、ある団体の事務局で幹事を務めていて、とにかく気遣いと段取りの人だった。最初に働いた出版社でも、尊敬すべき上司に段取りについて嫌というほど叩き込まれ、そしてその団体で鍛えあげられたのだと言える。今の仕事でそういう場面を仕切ることができているのだとすれば、ひとえにその2人の上司のおかげだ。
 10年ほど前、私もちょうどそれだけの分年若く、経営者だけの集まりの中で、常に生意気なことを言っていた私はとてもかわいがってもらった。お酒を飲むことも仕事のうちだったし、セクハラまがいのこともあったけれど、経営者という人種の仕事のしかたに触れ、身近で学ばせてもらったのは何よりも大きな経験だった。今でも何かと気にかけてくれ、街中で会うと「おう、元気でやってるのか」と声をかけてくれる、父のような存在の人たちがいることをありがたく思う。

2012/12/20

伝わりきらないことがわかっていても

 その立場によって、見えている景色はまったく違うのだろう。同じ景色を見ても感じかたが違えば、たとえ会話上は同意を得られていても、それがほんとうに同意かどうかは誰にもわからないのだ。
 だからこそ、もっと話したい。もっと知りたい。
 言葉では伝わりきらないことがわかっていても、それでも言葉を使ってでしかわかり合えないのならば、言語化する労苦を惜しんではいけないのだ、と信じている。

2012/12/16

 「自分は何が好きで何が嫌いか。他人がどう言っているか、定評のある出版社が何を出しているか、部数の多い新聞がどう言っているか、じゃない、他ならぬ自分はどう感じているのか。
 大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。自分基準(スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ。
 他人の「普通」は、そこには関係ない。」(梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』理論社、143〜144ページより)
 どんなにマイナーな意見であっても、私は自分の考えをきちんと持って生きていたい、そう思ったのが政治を学ぼうと思った理由だった。
 そして、今でもそれは同じだ。他の人の意見に惑わされて、それが自分の意見だと思い込み、思考停止のスイッチを押すことだけはしたくない。自分の信条にだけは、いつでも素直に従っていたい。

2012/12/15

続けられていることは、その才能があるということなのかもしれない、と思う。
私が本を読んだり文章を書き、どんなに満足できなくてもやめられないように。

2012/12/10

街を感じる

 地に足を着ける、ということについてなんとなく考えていたら、ちょうど読んでいた本の中にこんな文章を見つけた。
 「『見慣れた街の中で』の序文で、牛腸は「われわれ一人一人の足下からひたひたとはじまっている、この見慣れた街」と書いている。街は、頭上からでも、背中からでも、お腹からでもなく、「足下からひたひたと」生起してくるものだ。出発点にある足下の感覚におぼれないために、地に膝をつけるのはまさに理想的な姿ではないだろうか。」(堀江敏幸『回送電車III アイロンと朝の詩人』中公文庫、「存在の「いざり」について」59ページより)
 胸椎カリエスを患い、その分地面と自分の距離が近かった牛腸茂雄だからこそ、「足下からひたひたと」街を感じることができたのだろうか。
 牛腸茂雄の撮った、木の前でふたりの女の子が手をつないでいる写真を思い出している。

2012/12/05

朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや

 「朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや」と言ったのは孔子だが、たしかにこんなに楽しいことはない。それが、私が朋の立場だったとしてもだ。
 出張で北海道に来ている。大学を卒業してから15年、それから1回しか会っていない学生時代の友達に、帯広で会うことができた。不思議なもので、どれだけ会っていなかったとしても、会うとたちまち学生時代にスリップするのがおもしろい。ずいぶん遠くへ来たはずなのに、学生時代の気の置けない友達のままなのだ。お互いまったく違う生活をしていても、心から信頼している。
 13年分の空白はたった1時間半では埋められず、またの再会を約束して別れた。こうやってまた友達とつながれるのは、なんと幸せなことなのだろう。