2014/04/11

贅沢で無駄な空間

 文房具が好きだ。ノートにボールペン、万年筆などの小さい働きものたち。小さい頃はレターセットばかり買いあつめ、「それほど手紙なんて書かないのにどうしてそんなに欲しがるの」と母に呆れられていたこともある。
 仕事用のノートはモレスキンを使う、と決めてから3年。ゴッホやチャトウィンが使っていたというエピソードは、でも私にはそれほど重要ではない。それまでは使い終わったノートのどこに何が書いてあるのかを探したり、適当に取ったメモがどこに行ってしまったのかを探したりすることにずいぶん時間を費やしていたから、手帳のように1冊のノートを1年間使いつづければいいのだ、と気づいたときは、目の前がちょっと明るくなったような気がしたのだった。
 黒の無骨なハードカバーにクリーム色がかった紙、ゴムバンドで全体をしっかりとホールドできるという、ただそれだけの機能は、シンプルでこの上なく無駄がない。無地を使うと際限なく文字が斜めになりそうなのが嫌で、いつも罫線入りのものを買う。自宅では1日1ページのラージサイズを使い、出張や取材にはポケットサイズを持ち歩く。
 モレスキンそのものにはまったく無駄がないのに、ひとたびページを広げると、その向こうにはちょっと贅沢で無駄な空間が大きく広がる。たとえ、書いてあることが取材メモであっても、かけなければならない電話番号であったとしても、それを書きつけたときの空気感までよみがえるような気がするのだ。

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