2014/04/24

祖母の百人一首

 小さいころから祖母と一緒に百人一首に親しんでいたおかげで、この季節になると思い出す歌が二首ある。ひとつは紀友則の「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」、もう一首は西行法師の「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」だ。
 百人一首は私の中では祖母と分かちがたく結びついていて、祖母との思い出の中でも特にくっきりと際立っている。それまでに自分が遊んでいたような子ども用のかるたと違い、小さかった私にとっては、すこし小さなサイズで昔風の絵がついた百人一首はなんだか典雅なものに思えて、うかつに触っていいものかどうか迷ったことを思い出す。きちんと箱に収められたそれは、子どもが触るのを禁じられていた棚の中に入っていた。日頃から着物を着て暮らしていた祖母と百人一首をとるときは、畳の上で衣擦れの音がいつもより大きく聞こえるような気がした。
 百人一首で最初に教えてもらったのが紀友則の歌で、祖母は「おばあちゃんはこの歌が百人一首の中でいちばん好きなのよ」と繰り返し言っていた。わけもわからずに、ただ口伝えで覚えたはじめての短歌。西行法師の歌は、それからしばらくして覚えた。桜並木を歩きながら、この木1本1本の下に全部屍体が埋まっていたらぞっとする、と考えたこともある。
 中学に入ってから、国語の授業で百人一首を学んだこともあり、一時は百首すべて覚えていた。でもいつのまにか記憶はすっかり抜け落ち、今そらで思い出せるのは、この二首と「むすめふさほせ」の十首足らずでしかない。
 あの百人一首は、今はどこにあるのだろう。まだあの棚の中で、ひっそりと息づいているのだろうか。
 あと数日で、祖母の命日がやってくる。

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