2012/09/29

母のセーター

 大々的な衣替えをしなくなってから、ずいぶん経つ。子どもの頃は衣替えは一大事だったものだが、今ではそれほど大きな洋服の入れ替えはあまりしない。Tシャツ類をしまって、ニットを出すくらいだ。
 母が手先の器用な人なので、今に至るまで、ニットは母の編んだものが多い。編み物を習いに行っていたこともある母は、1シーズンに3人分くらいのセーターやカーディガンを編んでいた。以前編んだものをほどくときには、毛糸を巻く手伝いをさせられたものだった。
 セーターと言って思い出すのは大学1年の冬のこと。クリスマスを過ぎたら実家に帰る予定だったのにもかかわらず、母はアパートにプレゼントを送ってくれた。中身は編んでくれたセーター。それなのに、「届いた?」と電話をかけてきてくれた母に、友達が部屋に遊びに来ていた私はそっけなく対応し、ありがとう、の一言さえ言わなかったのだという。私自身はそんな対応をしたことはまったく覚えていないのだけれど、母はよっぽどがっかりしたのか、ことあるごとに思い出しているらしい。母には悪いことをしたな、と思う。そのセーターの色や模様も、今でもはっきり思い出せるのに、ありがとうすら言わなかったなんて。
 今でも、以前よりペースは落ちたものの、冬になると母は編み物を始める。そして、何度教えてもらっても編み物が身につかない不器用な娘は、今度はこれを編んで、とリクエストすることしかできない。

0 件のコメント:

コメントを投稿