2012/12/30

傷の共有

 傷ついた、とか、傷つけてしまった、と思うときに、必ず思い出す文章がある。
 「傷を気に病むなんてばかげてるわ」
 ある日私は指摘した。
 「生きていれば、物も人も傷つくのよ。避けられない。それより汚れを気にしたほうが合理的でしょう? 傷は消せないけど汚れは消せるんだから」
 夫は表情も変えず、違うね、と、言った。
 「汚れは、落とす気になれば落とせるんだからほっといていいんだ。汚れることは避けられない。傷は避けられるんだから、注意深くなりなさい」
 私はびっくりしてしまった。人は(たとえ一緒に暮していても)、なんて違う考え方をするのだろう。
 「避けられないのは傷の方よ。いきなりくるんだもの」
 私は主張する。
 「生活していれば、どうしたって傷つくのよ。壁も床も、あなたも私も」
 主張しながら、なんだかかなしくなってしまった。
(江國香織『とるにたらないものもの』集英社、「傷」79〜80ページより)
 たしかに、どうしたって生きていれば傷つく。傷つくのだし、傷つけるのだからそれはしかたがないと思う。しかたがないから、それでも、と前を見るしかない。傷のいいところは、いつしか忘れ、忘れないまでも薄れるところなのだと思っている。そして、それよりもいいのは、傷を共有したという、ひりひりした記憶なのかもしれない。

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