2013/04/01

自分で引き受ける以外にない

 もう、社会人何年目、と数えるような年ではなくなってしまったけれど、それでも4月1日というだけで背筋がしゃんとする気がする。
 新卒で勤めた出版社は、3月1日から1ヶ月かけて新人研修を前倒しで行っていた。それに間に合わせるために、東京への引っ越しは2月下旬。引っ越してきた次の日に、自分が乗る朝の電車の混み具合を軽い気持ちで駅まで見に行って、今度からあんな電車に乗って通勤するのか、と青ざめて帰ってきたことを覚えている(そして案の定、満員電車に耐性のなかった私は恐れをなしてなかなか乗り込めず、まるでマンガかドラマのように、駅員さんにギューッと押し込められる羽目になったのだった)。研修は完全なOJTで、1週間ごとで各部署を持ちまわり、書店にも見習い書店員として立たせてもらった。研修も終わりに近づいてくると、同期の話題は配属先で持ち切り。大卒の同期は全員が編集志望で、でもだからこそ、私自身は営業になるんだろうなあ、と半ば諦めていた。
 改めて4月1日に行われた入社式での辞令交付で、私は編集部に配属された。そして、私以外の全員が営業配属だった。いまもって、何を配属の判断基準にしたのかはまったくわからない。最初から編集部に配属になったのはとても嬉しかったけれど、同時に私は同期と仕事の話ができなくなることを覚悟し、そしてその予想が外れることはなかった。自分の仕事は孤独であっても自分で引き受ける以外にない、たとえ同期でも誰とも共有できないのだということを本当に実感したのは、あの日がはじめてだったかもしれない。
 5人いた大卒の同期は、もう今は1人しか残っていないはずだ。この年齢ならばそろそろ役職がついているだろう。あのころ描いた未来とはずいぶん遠く離れたところに来てしまったけれど、それでもあの会社にいたからこそ今の私があるんだな、と懐かしく思い出す。

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