2015/09/07

熱々のミモザ

 あるところに、ウォールナットのドアが印象的なバーがあった。なんでもそのバーでは、熱々のミモザが飲めるのだそうだ。しかもそれを飲めるのはお酒が苦手な人の一部だけだという。お酒が苦手な人の言うことだからと疑う人も多かったが、それでも「熱々のミモザを飲んでみたい」と、そのバーは評判になった。

 そのバーを経営していたのは、細面の顔に黒縁のメガネがよく似合う、40の壁をすこし越えたバーテンダーだった。彼の得意なカクテルはミモザ。しかも、お酒が苦手な人でも飲めるようにと自分なりにすこしアレンジしたレシピを使っていた。

 ある春先、店の近くを散歩していた彼は、黄色くて小さい花をたくさんつけた木を見つけ、目を見張った。自分がつくるミモザと同じ色ではないか。嬉しくなって、こっそり1本手折ってバーに持ち帰り、ガラスの花瓶に活けてカウンターに飾っておいた。そして、その夜に注文されたミモザをつくるとき、その花の花びらをこっそりミモザのグラスに入れた。実はそれが、熱々のミモザの正体だったのだ。なぜ熱々になるのかは彼にもわからない。でも、お酒は苦手でも、自分が好きな客にミモザを注文されたときだけ、彼はそっと花びらをグラスに忍ばせていた。

 ある夜、もうずいぶん酔っ払った客が、それに気づいた。横柄なその男は「おい、なんでその花を入れたりしてるんだよ!入れると美味くなるのか?だったら俺のグラスにも入れさせろよ」と、その花に手を伸ばした。とたんに、青い炎が目の前に現れ、なぜか男は手に火傷を負った。近くに火の気はなかったから、男もバーテンダーも、何が起こったのかわからない。すぐに手を冷やし、近くの夜間救急をやっている病院に付き添い、平謝りに謝った。だが、その男はずいぶん文句を言いながら病院を後にし、その後二度と店に来ることはなかった。

 その後も、同じように火傷をする人がいた。静止するバーテンダーの言葉に耳を貸さず、花に触ろうとした人が決まって火傷をするのだ。不気味なバーだという噂が立った。

 バーテンダーは悩んだ。自分は花に触っても何も起きない。そして、花に触った客が全員火傷をするわけでもない。でも、こんな噂が立ってしまえば、ここで経営し続けるのは難しい。考え込んでいた彼は、あ、と気づいた。触っても火傷をしない客は、自分が、近しく好ましく思っている客だけなのだ。そして、その客たちは、こんな不思議なことがあってもこのバーに通ってきてくれているということに。よし、と彼は心を決めた。この店は閉めよう。そして、自分のことを好きでいてくれる人たちだけが通える、ひっそりした新しい店を構えよう。

 ほどなくして、その店は静かに役目を終えた。熱々のミモザも、煙のように消えてしまった。

 今でも春先になると、時折、熱々のミモザのことが話に上る。それを飲みたいと思う人があのバーテンダーを探すのだが、見つけたという話はいまだにどこからも聞こえてこない。そして、そのミモザを見たことのある客が、「そういえばミモザというカクテルはこんな色をしていた」と言ったことから、現在ミモザと呼ばれている花はミモザという名前になった。

 ミモザの花言葉は、「密やかな愛」なのだという。

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